突然ですが。たまには雑記も書きたいので書きます。ホントは週一ぐらいでニュースを斬ったりもしたいけど基本的にニュースは見ないので斬れません。
だって斬ったら痛いじゃないですか。血が出ます。暴力表現や残酷描写は良くないと思います。こちとら年齢制限なしでやっとるのに。でもホントはニュースを斬っても血は出ないからオッケーです。
と思っていたら最近ふりーむが暴力表現の規制を厳しくしたようです。2023年7月14日のツィートです。気づいたときには1週間経っていてごめんなさい。
あやまることじゃない
さて。『気づいたときには1週間経っていてごめんなさい』と書きましたが。また騙されましたね。実はコレ。妥当です。あやまることじゃありません。
なぜなら『ふりーむが審査を厳しくしたお知らせなんて誰も見ないから』です。じゃあ誰も見ないのになぜ気づくのか。それは『審査に落ちた人が増えたから』です。
『…ふりーむ審査落ちました』『落とされて草』『え?オレもおちたけど』と何人か立て続けに落ちることで異変に気付くのです。
そしてだんだん噂が広まってクリエーターの友達なんていない私の耳に届く期間が1週間だったわけです。そんなもんじゃないでしょうか。全然おかしくないです。おかしくないけど友達がいないのが悲しいです。
と思った方もいらっしゃることでしょう。そんなかわいそうなあなたにこの言葉をプレゼント。『善人は一人だと善人』です。
善人は一人だと善人
『善人とは何か?』を説明するのは大変なのでしません。というか出来ません。『善行』の判断基準が厳密に定義されていなくて答えがありません。
さらに人によって正反対のことが善行になったりするからややこしいです。罪人を懲らしめるのも善行だし、罪人をあえて助けるのも善行です。だから感覚で分かってください。とにかく良い人です。
それで。善行って割といばらの道です。善行をやると基本的に損します。見返りがなく自己満足の徳を積むのが目的です。誰にも評価されません。さらに人によって正反対のことが善行になるので場合によっては評価が下がります。
それでもその道を進むのが善行です。だって善人になりたいから。そこまでの覚悟があってこそ善行となります。
集団でやると戦争
じゃあ『罪人を懲らしめるのが善行』と信じている人がいるとするじゃないですか。罪人を懲らしめるのも大変ですよ。簡単には出来ません。罪人だって法に守られています。まっすぐ近づいて殴るわけにはいきません。出来れば犯罪はしないように懲らしめたいです。
それを一人でやるんだからいばらの道です。高い知能と行動力に判断力にその他いろいろ必要です。そしてそれをやった結果、こっちが悪者になる可能性もあります。それでもその道を進むのが善行です。
それを集団でやると簡単に出来ちゃうんですよ。みんなで冷たくすれば終わりです。冷たくしても法に触れません。意地悪したらダメですが『関わりたくなくて無視する』ぐらいならいくらでもやっていいです。
その方法で罪人を懲らしめたところでそんなの善行じゃないです。全然辛くないし。むしろいじめが始まって楽しくなります。しかも『罪人を懲らしめるのが善行』という価値観も人それぞれです。『この人たちは善人の集団だなぁ』とは思われません。
だから善行は集団でやると善行じゃなくなります。同じことをやっているのに意味が変わります。集団で善行をやると自分と趣味が合わない人を排除する侵略戦争になります。
だから私は前から言ってるんですよ。ケンカはタイマンでやれと。気に入らないやつと喧嘩するのはオッケーです。でも仲間を集めてはいけません。周りに広めてはいけません。みんなを巻き込んじゃダメです。一人で戦ってください。それで善行が成立します。
それで。『友達がいない』という話だったじゃないですか。友達がいないあなたが自分の信念に従って行う行為はすべて善行となります。つまりあなたは善人です。今の人生で徳を積んだあなたはきっと来世でたくさんの友人に囲まれることになるでしょう。やったじゃん。うらやましいっス。
影響があるのは短編ノベルだけです
そんな屁理屈はどうでもいいです。今回起きた事件は『ふりーむのレーティング基準が厳しくなった』です。暴力表現が厳しくなりました。
でも影響があるのは『短編ノベル』だけです。短編ノベルって『言いたいこと一つ』じゃないですか。そこに暴力表現があったら凄く目立つじゃないですか。
探索アドベンチャーとか作っている人は大丈夫です。暴力表現面で刺激の強すぎる作品がNGなので、いろんな要素があって暴力表現の全体的な濃度が薄まってるならオッケーです。厳密に言うと短編ノベルじゃないなら『今まで通りで大丈夫』です。
なのでとりえあえず言えるのは『私には影響なし』です。短編ノベル作ってないし。そもそも『ホラー』って書いてるだけでホラーゲーム作ってないし。この話終わりでいいですか。
そんなに暴力表現が好きですか
余計なお世話ですが。審査で落とされるぐらい暴力表現がメインの短編ノベルってみんなそんなに好きですか。
一概には言えないけど。『作品に刺激を求める』というのは『自分が出来ないことをやってる人を見たい』という傾向があります。過激な暴力表現の作品が好きな人って内気な人が多いと思います。殴りたい奴がいるけど殴る勇気がない人です。
尾崎豊とか甲本ヒロトとか不良の歌を作ってるけど、実際は内気で真面目というのは有名な話です。マーシーはバリバリヤンキーだけど。まぁだから100%の理論ではないです。
暴力表現がメインの短編ノベルを作ってる人って。実際はそんなこと出来ない人が日ごろの憂さ晴らしで作っている可能性が高めです。嫌なことが起きてもその場で発散できない人たちです。審査に落とされて鬱にならなきゃいいけど。見かけたら優しい言葉をかけてあげて。終わり。
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