さて。フリーゲームでお金を回そう作戦が続いております。それで前回フリーゲームクリエーターは宗教を作って教祖になることが決定しました。宗教団体設立に許可は不要です。名乗れば今日から教祖です。
しかしなぜこうなってしまったのだろう。確かに序盤で『宗教を作る』とは言いましたが、てっきり『私が作る』と思っていました。まさかみんなで作ることになるとはね。展開が読めない。
これが『後付け力』です。後付けを極めると自分でも読めない展開になります。有名どころで言うと北斗の拳やドラゴンボールは後付け力が強い作品です。
私はただ世界を平和にしたかっただけなのに。歴史上で宗教にロクな話は聞きません。このまま進んでも大丈夫なのでしょうか。
でも始まってしまったものはしょうがない。あなた方は今日から教祖です。日本には八百万の神という風習があります。フリーゲームクリエーターが全員宗教を始めたら八百万の神の復活です。
と思った方もいらっしゃることでしょう。だからあなたはダメなんですよ。宗教団体設立に許可は不要ですが宗教法人は役所の許可が必要です。
宗教法人は役所の許可が必要です
手続きがかなり大変なので全部説明しませんが宗教法人を作るのは役所の許可が必要です。3年間の活動実績を提出しなければなりません。
だから宗教法人にはしなくてもいいです。宗教法人なら税金を払わなくてよくなるだけです。ただの宗教団体で投げ銭を貰って税金を払えばオッケーです。役所には個人事業主で申請しましょう。
つまりユーチューバーと一緒です。つまりユーチューバーは教祖です。フリーゲームクリエーターもユーチューバーと同じく教祖となる時代がそこまで来ています。
あとはフリーゲームクリエーター用の投げ銭システムを誰かが開発してくれたら完成です。
全員が教祖にはなれません
それで、フリーゲームクリエーターも教祖となる時代がそこまで来ていますが、実はなんと、今まで黙っていましたが、全員が教祖になれるとは限りません。全員で教祖は目指しますが意外と壁は高いです。
なぜなら宗教団体には信者が必要だからです。それなりに面白いゲームを作って知名度を上げないと信者は増えません。
でもユーチューバーよりは壁は低いと思います。1円も稼げないで終わるユーチューバーのほうが圧倒的に多いでしょう。理由はフリーゲームクリエーターのほうが需要が多いからです。
動画を撮影してアップロードするのは簡単なので現在ユーチューバーは供給過多です。フリーゲームもパッと見て供給過多ですが『本当に面白いゲームだけやりたい』と思ったら実は全然足りません。
凄く面白いゲームで一週間ぐらい遊んだあとに、次の一週間ぐらい遊べる凄く面白いゲームはなかなか見つかりません。毎日すごく面白いゲームで遊び続けることはほぼ不可能です。ユーチューバーはすごく面白い人を一人見つけたらこれから何年も毎日動画を上げてくれます。しばらく安泰です。
私はふりーむから毎日ゲームをダウンロードしていますが、とても全部はダウンロードできないぐらい供給が多いです。でも『本当に面白かった』と言えるゲームが毎日はないです。結構無理やりやっています。
なのでフリーゲームクリエーターなら入り込む余地がまだまだあります。ただしフリーゲームクリエーター用の便利な投げ銭システムがまだないので今入り込んでもお金になりません。
ユーチューバーならyoutubeの投げ銭で決まりですが、フリーゲーム用の投げ銭システムはどれが定番か確立されていません。定番が出来たら一気に栄えると思います。誰か早く何とかして。
でもとにかくユーチューバーよりは教祖になれる可能性が高いと思います。
教祖のなり方
さて。フリーゲームクリエーター用の投げ銭システムはありませんが教祖にはなるだけなっておきましょう。というか投げ銭はci-enとかfanboxとかnoteとか使えばいいんじゃないでしょうか。paypalは本名がバレるから怖いです。paypayは投げ銭禁止です。
それで一番の問題は『どうすれば教祖になれるのか?』です。名乗れば教祖ですがそれだけでは信者が増えません。民衆に神の存在を信じさせるもう一手がほしいです。
その答えを言います。奇跡を起こせばいいです。
奇跡を起こす
神は奇跡を起こせるから神です。人間業の誰でもできることをやっても神とは呼べません。落ち込んでいる人に優しい言葉をかけるのは誰でもできます。そんなの神じゃありません。そんなレベルで『神対応』なんて神への冒涜です。
だから奇跡を起こしましょう。フリーゲームクリエーターの皆さん。今です。空を飛んでください。飛べない人は海を割ってください。
それが出来たらどれだけ楽か。それだけで神じゃないですか。ゲームも作らなくていいです。なんて無責任なことを言うんだろうこの人。
と思った方もいらっしゃることでしょう。私も思いました。彼の言いたいことは分かります。でも無理です。でも大丈夫。奇跡と言うのは『マネできないこと』をすればいいのです。
マネできないことをする
『すごい!』と思われて『オレもこうなりたい!』となれば人間業です。そいつは弟子になってしまいます。弟子はお金をくれません。そいつ要りません。
『すごい!』と思われて『とてもマネできない……』となれば信者になるしかありません。弟子になっても無駄です。一生追いつけません。
つまり常人離れしたことをやればそれが奇跡となるのです。人間は一人一人DNAの配列が違います。自分にしかできないことが必ずあります。
そこを攻めればあなたも教祖です。奇跡は誰でも起こせます。自分にしか作れないゲームを作れば教祖になれます。
簡単にマネできないことをする
誰も出来ないことをやれば神ですが、そんなの自分も出来ません。なんて無責任なことを言うんだろうこの人。
と思った方もいらっしゃることでしょう。私も思いました。彼の言いたいことは分かります。でも大丈夫。そんな人は『マネできないこと』じゃなくて『簡単にマネできないこと』をすればいいのです。
アリアハンでアバカムを覚えるやりこみプレイはやろうと思えば誰でもできます。でもめんどくさいじゃないですか。やってみたいけどやりたくないです。
そのやりこみプレイをyoutubeにアップロードすれば神です。常人技ですが簡単にできないことをやってのければ神業です。
そこを攻めればあなたも教祖です。奇跡は誰でも起こせます。簡単に作れないゲームを作れば教祖になれます。
予想の上を行く
予想通りのことをすると人間業です。神の作るゲームは展開が読めないようにする必要があります。
まずフリーゲームを遊ぶプレイヤーは基本的に作者をナメています。理由はフリーゲームの平均点が低いからです。すべてのフリーゲームに点数をつけて平均点を出すと30点ぐらいです。趣味で一人で作っているからしょうがないです。
市販のゲームの平均点なら60点ぐらいいきます。でも本業でチームで作っているのに60点なんて不甲斐ないです。もっと頑張って。
だからプレイヤーは、何の前評判も知らない作者の新作ゲームをやる場合に、あまり期待をしていません。どうせハズレです。掘り出し物を探す気分です。当たりが今日中に見つかるとは思っていません。
導入で主人公が記憶喪失だったら『どうせ主人公は事故に会ってこの不思議な空間は生死の狭間の世界なんだろ』と予想されます。なぜならよくある設定を平気でやってくる作者がいつまでも大量にいるからです。
そしてその予想を超えたゲームは60点以上になります。人間の予想を超えるのが神です。そして信者が増えます。その作者は教祖となります。
褒められてるか分からん
そういえば。ゲームを投稿してレビューをもらって『なんか褒めてるのかバカにしてるのか分からん』『面白いとは言っているけど嫌な言い方するなこの人』みたいな経験あると思います。私もあります。褒められてるとは思うけどなんかカチンときます。
この現象が起きる理由は『60点のゲームを誉めているから』です。つまり『褒めてるのかバカにしてるのか』で言うと褒めています。
フリーゲームで60点は高得点です。かなり上位にいます。だから褒める対象になります。是非ともレビューがしたいです。60点を蹴っていたら今月は一つもレビューができない恐れがあります。
しかし60点はそんなに高くないです。いざレビューを始めると褒めるところが少ないです。悪いところも多いです。誉め言葉だけではページが埋まりません。
だから余計なことを書いています。紹介ページを盛り上げるために筆者が頑張って面白要素を足しています。なんとか面白い紹介ページにしないと読者に逃げられます。善意の行動です。
つまり下に見られています。保護されています。ある意味バカにされています。『この人は特別面白いクリエーターじゃないけど名前は覚えておこう』というレベルです。
だからレビューをもらって『褒めてるのかバカにしてるのか分からん』という気持ちになります。その感情は正しいです。両方やっています。
紹介するゲームが不甲斐ないからこうなります。次はもっと面白いゲームを作ってあげてください。80点のゲームを作れば褒めていることが分かるレビューをもらえます。
60点が一番傷つく
実は今までみなさんに内緒にしていましたが、私はこのコラムを書き上げたときに毎回『凄いのできた!』と思っています。
知識豊富で奇抜な発想でユーモアがあって言い方がひどくで正義があって論理的で分かりやすい。こんな文章が書ける奴はそうそういない。noteで人気の作家が書いている意味不明のポエムよりはるかに面白い。俺はすごい。と思っています。
でもまったく話題になりません。もう22回目なのに。noteの意味不明のポエムのほうが世間でウケています。つまり私のコラムは私が思っているほど面白くないです。
こういう作品が60点になりやすいです。センスありそうなことをいろいろやっているけどなんか大したことがない、面白いと思っている人はいるけどそんなに多くない。それが60点です。
しかし60点の作品を作っている人は『自分はかなり面白い方にいる』と思っています。なぜなら褒められるからです。60点は褒める対象なので世間から褒められます。そしてもともと自分でも『自分は面白い』と思っています。だから自信が付きます。やっぱり俺は面白い。
しかし60点は実際は大したことがないので『褒められてるかバカにされてるか分からんこと』を突然言われます。下に見られてある意味バカにされます。
普段は褒められているので『レビューされる=褒められる』と確信してレビューを読んだら微妙なことを言われるので過剰に傷つきます。自信が付いたところから突き落とされるのでショックがでかいです。
だから60点のゲームをレビューするときは気を付けてください。正直に思ったことを全部言うと作者に発狂される恐れがあります。誉めてるのに怒られます。絶賛以外は酷評と捉える作者がいます。
しかし60点を蹴っていたら今月は一つもレビューができない恐れがあります。ここが難しいところ。
神の啓示を民衆に届ける
ということで教祖のなり方は分かりました。奇跡を起こせばいいだけです。簡単ですね。ここは余裕でクリアです。
なので次のステップに行きましょう。次は『神の啓示』です。神の言葉を迷える子羊どもに伝えます。これはtwitterやブログや動画配信となります。神の言葉をSNSに残しましょう。ブログは次回に回して今回はtwitterの話をします。
そこで注意点です。『あなたのツィートは神の言葉である』ということを意識しましょう。
神は正しい
神が『仕事行きたくねー』などとつぶやいてはいけません。信者は神の言葉を信じます。『仕事行きたくねーは正しい』となります。信者が仕事をさぼります。信者には働いてお布施代を稼いでもらわないといけません。
つまり神のツィートは『正しい行い』である必要があります。信者はあなたの教えに基づいた行動をします。
思い出してください。なぜ我々は教祖になろうとしているのか。それは世界を救うためです。キリスト教の『キリスト』は『救世主』と言う意味です。『救世主が世界を救う』のがキリスト教の原点です。
世界を救う救世主が間違ったことをしてはいけません。とは言いませんが。間違った教えを経典に書いてはいけません。
たとえ仕事に行きたくないとしても『楽しい職場づくり』『後輩の扱い方』『出世の近道』などを発信していくのが教祖です。
神は面白い
神が『からあげくんとビール最高うまうま』などとつぶやいてはいけません。信者は神の言葉に救いを求めます。こんなゴミのようなツィートを見ると信者が戸惑います。
好きなことを何でもつぶやいていいのは人間だけです。神の子であるフリーゲームクリエーターは全ての行動発言に意味が必要です。ゲームを作るときと同じレベルのクオリティーのツィートをしてください。
神の言葉は『からあげくんとビール最高うまうま。ちなみに油淋鶏ソースを自分で作りました。味ぽんと砂糖とごま油とネギとニンニクです』とならなければなりません。終わり。
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