さて。引き続き面白いゲームの作り方の話をしております。とりあえず思いついたことを書きますと。処理落ちには気を付けたほうがいいです。
プロのシステム開発者は『パフォーマンステスト』というのをやります。わざとPCに負荷をかけた状態でシステムを起動させて誤作動しないようにテストします。フリーズすると困るので一定期間でキャンセルかけたり、長時間の重い処理を避けたりします。
良いパソコンで開発してる人は注意です。フリーゲームは貧乏人がやる遊びなので全員がいいパソコンを持っているとは限りません。処理落ちがヒドイと途中でやめてしまいます。感動のエンディングがあるのにもったいないです。
画像ファイルが重かったりマップが広かったり並列処理が多かったりすると処理落ちします。クオリティーをあげたい気持ちは分かりますが途中でやめられたら台無しです。適度にやりましょう。
クオリティーを追求したいなら思い切って有料ゲームにして金持ちをターゲットにするのもアリです。金持ちならいいパソコンを持っています。
反省しようと思います
とりあえず思いついたことも書いたので今回の話は終わりです。ここからは余談です。
それで。今回の余談はズバリ『B判定でショックうけすぎ』コレです。どうやら世の中の大半の人は『普通』と言われると傷つくようです。知らんかった。ホントです。
だって私は『普通』って言われたことがないので。今までの人生で褒められるか貶されるかの両極端な評価しかもらったことがないです。嘘です。B判定とったことあります。私は模擬テストでB判定の大学に行きました。
B判定は合格です
私はB判定の大学を受験して合格しています。だから私のB判定の印象は『合格』です。だからB判定は『褒め言葉』と思っていました。
私が今までに一番人から言われたのは『変わってる』です。そしてたまに褒められます。『頭いい』と『面白い』はそこそこ言われました。貶されることもよくありました。貶されるときは『ダサい』が多かったです。『お前は言い死に方しないぞ』も言われたことあります。
そして『普通』と言われたことはないです。だからむしろ『普通』と思われたかったです。『変わってる』って言われるのはあんまり好きじゃなかったです。
ちなみに。実は『頭いい』と『面白い』もあんまり嬉しくなかったりします。嬉しいときもあります。状況によります。『おまえに言われてもなぁ……』みたいな感じ。
B判定でショックうけすぎ
それで。私の自作ゲームに『ホラーゲーム実況能力検定テスト』というのがあるんですけど。このゲームは最後にABCでランク付けするんですけど。B判定で『普通』と言われている人がみんなショックを受けています。
むしろC判定で『面白くない』と言われている人の方が喜んでいます。というか開き直っています。ショックが少ないです。
私の常識で言うと態度が逆です。CよりBのほうが嬉しいのが普通じゃないの。でも常識が間違っているのは私の方だったようです。
この年になって常識が違うことが突然やってくることもあります。みなさんも気を付けてください。『あなたの常識』は『世界の常識』ではありません。
『普通』と言ってはダメでした
私は日記でフリーゲームのレビューを書いているんですけど。初期は『普通です』って書きまくっています。でも私の常識だと『普通』は『合格』なんですよね。言われても嫌じゃない評価のつもりでした。
でも気づきました。普通の人は『普通』って言われるとショックを受けます。普通じゃない人に『普通』って言うと喜びますが。世の中の9割の人が普通の人なので『普通』と言われて傷つく人は多いです。
だから途中から『普通です』は書いていません。書いちゃダメなやつでした。ごめんなさい。だって知らんかったもん。ホントです。
A判定は一割ぐらいです
ちなみに。私の自作ゲームの『ホラーゲーム実況能力検定テスト』の実況をほぼ全部観ていますが。まずあんなテストで判定なんかできません。半分はジョークです。結果は気にしないほうがいいと思います。
それで。私があのゲームをやっている人たちの実況を観てちゃんと評価した場合、A判定は1割ぐらいです。C判定も1割ぐらいです。大半がB判定です。
あんまりこういうことを言っちゃいけないんですけど。彼らはB判定が妥当な人ばっかりなんですけど。ホントにそんなにショックですか? 普通に思ったことをしゃべってるだけならB判定ですよ。『丁寧な実況』でもB判定です。上位一割のA判定をとれる人はまともじゃないですよ。
ちなみに。採点方法を簡単に言うと『人と違う思い切ったことをして面白い人がA判定』『それでスベリ倒している人がC判定』『残りはB判定。スキルが高いとか関係ない』となります。偏差値が30でも70でも普通のことしかしない人は普通です。個人の感想です。
でもB判定は合格なので落ち込まないで。この社会はB判定の人たちによって形成されています。A判定なんかとったら現代社会で生きていけません。
常識の違いがあります
ということで。人には常識の違いがあることが分かりました。その常識をもう一回書きます。普通の人に『普通』と言っちゃダメです。しかしながら。知らないことは誰にでもあります。あんまり責めないように。
例えば。東京でエスカレーターに乗るときは左に寄りますが、大阪では右に寄ります。福岡ではどっちにも寄りません。福岡は友達と二人で横に並びます。マナーが悪いんじゃなくて常識が違うだけです。怒っちゃダメです。
じゃあせっかく常識の話をしたので。ここで一つ。信じられない話をします。要は『怖い話』です。それもノンフィクションです。嘘みたいな話ですがホントの話です。
実は。なんと。この世には。恐ろしいことに。『他人の幸せを願っている人』がいます。信じられないでしょ。
この世には『他人の幸せを願っている人』がいます
だって『自分さえよければいい』というのが当たり前じゃないですか。他人が幸せになっても自分に何も得がありません。自分に得がないことをやる人がいるわけないじゃないですか。
これが例えば『余裕があるときに他人のことも考えられる』これなら出来る人はいます。というかむしろこれは得する行動です。
人助けは優越感があるのでやってて面白いです。お礼を言われたら嬉しいです。周りに『優しい人』と認識されたら今後の人生が有利になります。相手が自分の事を好きになったら都合がいいです。先行投資として優れた行動です。この行動にはメリットがあります。
でもこれが例えばね。『ここはオレに任せてお前らは先に行け!』という漫画やゲームでよくあるセリフがあるじゃないですか。これってさ。結末を先に言いますが。この人は死にます。これは死ぬのが分かっていて言うセリフです。
この行動が出来る人はいないでしょ。私が今回言っているのはこのレベルの話です。余裕があるときだけ他人のことを考える偽善者の話ではありません。
だって『死んでも助ける』の行動理念に説明がつきません。死んだら終わりですよ。助けたお返しはもらえません。やる意味ないです。
まぁ『死ぬ』のは極限まで追求した話です。でも『自分にまったく得がない。むしろ損をする』でも『他人の幸せを願っている人』これならどうでしょうか。まぁいないでしょこんな人。でもいます。信じられないけど。ほら怖くなってきた。
昔はいた
ちなみに昔はいました。戦争中はたくさんいました。例えば人間魚雷です。回天特別攻撃隊です。アメリカ海軍に対抗する日本の最終兵器です。魚雷に乗って操縦して空母に突撃します。日本が勝つと信じて。天皇陛下万歳。
しかし日本は負けました。原爆を見せられたらお手上げです。だってまともな人間が使っていい兵器じゃないです。ガンダムでも核兵器は禁止なのに。我々日本人はアメリカ兵に人間と認識されていない恐れがあります。敵は戦争をしていない。害虫駆除をしていただけだった。
だからアメリカに降伏しました。もうやってられません。そして天皇陛下は言いました。『日本国民はすべて私の命令を聞いていただけです。国民に罪はありません。すべての罰は私が受けます。どうか国民には寛大な処置を』
かっこいいでしょ。これが俗に言う『王の器』です。上の人間が慕われているから人間魚雷が成立します。だから他人のことも考えるのは大事です。相手が自分の事を好きになったら都合がいいです。
ちなみに。ヒトラーは負けが確定したと思ったら自殺しました。湾岸戦争のフセイン大統領は身元を隠して亡命しました。
自分にまったく得がないけど他人の幸せを願っている人
でも僕らは戦争を知らずに育ったのでそんなことはどうでもいいです。令和の日本で自分が犠牲になって他人の命を救う場面は現実的じゃないので考えなくてもいいです。私だったらそんなの考える前に足が震えて動けないと思います。逃げる前に殺される役です。
それで問題は『自分にまったく得がないけど他人の幸せを願っている人』です。これを『他人の幸せを願っている人』とします。『余裕があるときだけ助ける人』は『自分さえよければいい人』とあまり変わらないです。
厳密に言うと『余裕があっても他人の事はどうでもいい』という人もいまして、それとまとめられると心外なんですが。どっちが近いかと言われると『自分さえよければいい人』に近いです。五十歩百歩です。今回はこっちにまとめます。
それで『他人の幸せを願っている人』なんですが。まぁこんな人はいないでしょ。信じられないでしょ。でもいます。この事実をみなさんに信じさせるのが今回の目的です。
他人の幸せを願っている人は存在します
例えば。2ちゃんねるのひろゆきさんが生放送で人生相談を受けているんですけど。基本的にスパチャの質問だけ答えます。なぜなら質問が多いから。全部答える時間がない。だからお金を払った人だけ相手をします。
そしてお金を払って質問をした人にボロクソ言います。『お前こんなクソみたいな質問をするためにお金を使っちゃダメだろ』って説教をします。『このお金を使うんだったら〇〇に使えばよかったのに』って言います。『この人は頭悪いですね』って言います。
これって損するじゃないですか。普通はお金をもらったらお礼を言います。またお金を払って質問して欲しいです。気分を良くさせてリピーターになって欲しいです。
でもボロクソ言って別の金の使い道を教えています。絶対損でしょ。その光景を見せられた他の人も質問するのが怖くなります。自分もボロクソ言われたらいやです。宣伝にもならない。でもやるんですよ。なぜなら他人の幸せを願っているから。ひろゆき氏は『自分に得があるかどうか』で行動をしていません。
ちなみに。メンタリストやホリエモンやガイナックスの岡田さんもこんな感じです。中田のあっちゃんはどうだろう。そういえばあっちゃんの動画は見たことない。今度観てみよう。
『他人の幸せを願っている人』と『自分さえよければいい人』は対立します
それでめでたく、この世には『他人の幸せを願っている人』が存在することが分かりました。しかしながら『自分さえよければいい人』の方が圧倒的に多いのでそっちが常識です。『他人の幸せを願う人』は希少生物です。滅多にいませんがどこかにいます。
そして実はこの二人は対立します。なぜなら意見が完全に分かれるから。同じ悩みに対して二人は違うことを言います。
さっきの人生相談のクソみたいな質問でいうと『自分さえよければいい人』はまずお金をもらってお礼を言います。そして質問に答えます。でも解決はしません。なぜならそもそも質問がクソみたいで無意味だから。しかたなく機嫌を損ねないように当たり障りのない無責任なアドバイスで終わりです。また質問をお待ちしております。
そして『他人の幸せを願う人』はお金の使い方を教えます。根本的な解決を目指します。お礼なんか言いません。お前もう質問すんなよ。この人は質問をしなくなった方が幸せです。
『他人の幸せを願っている人』は言い方がキツイ
そして衝撃の事実です。信じられないかもしれませんが。実は。なんと。恐ろしいことに。『幸せになる』って大変です。『成功する』のは難しいです。
ハッキリと申し上げますと。他人にお金を払って人生相談をする時点であなたの人生は半分詰んでいます。そこから成功するには多大なリスクと労力が必要です。根本的に変わらないといけません。
まずは自己分析から始めるといいでしょう。こんなクソみたいな質問にお金を払っている時点であなたはバカです。バカを直すにはバカを自覚する必要があります。現実を受け止めてください。あなたはバカです。さぁ変わりましょう。
こんなこと言われたらキツいでしょ。全否定されて怒る人もいるかもしれない。でもホントにあなたの成功を願っているからこそホントのことを言っています。
『自分さえよければいい人』は嫌われないように優しいことを言います。その優しい一言でその時の気分は晴れるでしょうが家に帰って朝起きたら何も解決していません。そもそも解決する気なんてなかったし。でも気分が晴れたでしょ。また質問をお待ちしております。
時間が解決する
ちなみに。『時間が解決する悩み』というのも存在します。だってどうしようもできないことってどうしようもできないじゃないですか。その状態で時間が経つと忘れることがあります。
なので『優しい一言でその時の気分は晴れる』という治療法で解決する場合もあります。まったく無意味ではありません。解決するまで高い治療費を払い続けてください。
根本的な原因は『頭が悪い』こと
ちなみに。この世の人の性格で『私の悪いところって何だろう?』というのは全て『頭が悪い』か『センスがない』のどっちかです。
『結論が早い』は『行動力がある』と同義です。『慎重』は『優柔不断』と同義です。『怒りっぽい』は正義感があります。優しい人は無責任です。
あらゆる性格が良いところにも悪いところにもなります。じゃあ何が違うのかというと。頭の良さです。バカが結論早いから間違うのです。頭がいい人はたくさん予想して失敗した場合も想定して行動するのが早いです。
それで『私の悪いところは感情的になって結論が早いことだ!』と間違った認識をすると何も解決しません。行動力があるのはあなたの長所です。感受性が豊かなのは芸術の才能があります。あなたの悪い箇所は頭です。
戦争開始
それで『他人の幸せを願っている人』と『自分さえよければいい人』は意見が違うので戦争がはじまります。お互い自分の主張を否定されて面白くないです。あいつはわざとオレのことを批判しているに決まっている。
だってそもそもさ。『他人の幸せを願っている人』がいるわけないから。『自分さえよければいい』が現代社会の常識です。圧倒的多数です。だからオレが考えていることが常識です。
そしてさ。『他人の幸せを願っている人』の行動理念がいまだに理解不能です。現代の科学で解明されていません。損してまで人のために行動する理由がない。絶対裏があるぜ。
だから結局『他人の幸せを願っている人』なんか存在しなくて、彼らも自分と同じく『自分さえよければいい人』なんじゃないの。
だってさ。アイツらキツイことを言いまくっているじゃないか。そんなの『性格が悪い』しかないじゃん。どう考えても悪者です。
つまりキツイことを言っているやつらは性格が悪い。だから私を批判して私の評判を下げようとしている。それは相対的に自分の評価を上げるのが目的だ。それなら私を批判する意味が分かる。辻褄が合う。これが結論です。
『自分さえよければいい人』は『他人の幸せを願う』という発想がないのでこういう思考になります。
そしてこの戦争は『自分さえよければいい』が圧倒的多数の常識なので勝ちます。『他人の幸せを願っている人』は負けます。悲しい事件でしたね。
大物になってみたくないですか
あと最後に一つ言ってもいいですか。刑事コロンボも部屋を出る前に必ず言い忘れたことを言います。最後に一つ言うのはミステリーの定石です。
それはズバリ『他人の幸せを願っている人』ってかっこよくないですか。ゲームキャラクターにいるでしょ。こういうキャラがいると盛り上がるでしょ。
クリエーターをやっているのなら少なからず誰しも野望はありますよね。人気者になりたいでしょ。大物になりたいでしょ。『他人の幸せを願っている人』は大物ですよ。
だから自分がそれになってみるのはどうでしょうか。『他人の幸せを願う』ゆえにみんなに嫌われていくなんてかっこいい。こんなの誰にでもは言わないですよ。野望を持っているクリエーターの方にだけ進言させていただいております。
『他人の幸せを願う人』が増えると世界が平和になります。平和な世界を作りたくないですか。ゲームと現実で両方とも。無理強いはしません。他人の幸せを願っても損するだけなので。ただかっこいいだけです。終わり。
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